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説明会での発言、意見書の提出 他(武蔵国の豊嶋郡と多摩郡等)

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質問 説明会での発言、意見書の提出 他(武蔵国の豊嶋郡と多摩郡等)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 | 投稿日時 2006-11-14 12:54 | 最終変更
亀井天元  長老   投稿数: 344 オンライン
いさなと仲間達

当該敷地には、まだまだ十分使える建築が残っており、今日、こうした建築の所有者は、再活用を検討する事が、時代の責務であります。(未来都市フォーラム⇒東京フォーラム⇒府中市本町2丁目・豊島区中央図書館・豊島区役所庁舎整備 参照
http://www.next-city.com/main/modules/xhnewbb/viewtopic.php?topic_id=9

http://www.next-city.com/main/modules/xhnewbb/viewtopic.php?topic_id=14

http://www.next-city.com/main/modules/xhnewbb/viewtopic.php?topic_id=10
)全て壊して分譲住宅とする事に、強い疑問を感じざるを得ません。また敷地の大半は、昭和43年から都市計画決定している、街区公園でもあり、今回の事業者は、近隣コミュニティーの希望も十分取り入れ、現在プランを根本的に検討しなおす事が当然と考えられます。

旧社宅施設は、このあたりでもなかなか瀟洒な建築であり、特に鉄筋コンクリートの3階建ては、老人ホームやデイケア施設などに十分転用可能と思われる。府中市内では、やはり旧東芝の独身寮が、老人ホームに転用されるなど、前向きな取り組み事例も在ります。一方、豊島区などでは、かろうじて確保されていた、老健施設に付随の、貴重な都市の庭(広場)をつぶし、増築するような無謀な計画も進んでおり(未来都市フォーラム⇒東京フォーラム⇒公共建築の仕事、今後は・・・、公共空間は・・・ 参照
http://www.next-city.com/main/modules/xhnewbb/viewtopic.php?topic_id=19
)、こうした都市内部の矛盾調整の為の懇談会の場として、このサイトの存在価値も大いにあるものと考えています。

歴史を奈良時代頃まで遡れば、豊嶋郡と多摩郡は、現在の中野区・練馬区と杉並区・武蔵野市の接するあたりで、隣の郡として接していたわけです。7世紀後半、律令国家が成立する中、支配の単位として日本列島が、60ほどの国に分けられました。武蔵国はその1つで、21の郡から成る武蔵国が誕生するまでは、豊嶋(現在の豊島区のほか、板橋区、北区、荒川区、文京区、新宿区、台東区、千代田区を含み、足立区、練馬区、杉並区、中野区、渋谷区、中央区にまたがる地域)も多摩(多摩川の中・上流にあたり、奥多摩の山々をかかえ、武蔵国で最も広大で、中でも府中は戦国時代頃まで国府の街)も、同じ国造(ムナサシ)によって治められていたようです(他に、ムサシ、チチブの計3名の国造が武蔵国の成立以前、地域を治めていたとする古い文献・府中市郷土の森博物館所蔵があるそうです。)。戦国時代までには国府の町・府中が衰退し、替わって江戸時代、日本の首都としての巨大都市・江戸が武蔵国内に登場します。すると武蔵国は、江戸とその周辺という見方が加わって来ました。それに対応するように、東隣の下総国葛飾郡の西半分が武蔵国(墨田区、葛飾区、江東区、江戸川区)に編入され、22郡で武蔵国が構成されるようになりました。府中の大國魂神社(武蔵六所宮総社)拝殿(http://www.ookunitamajinja.or.jp/meguri/index.html )

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9C%8B%E9%AD%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE_%28%E5%BA%9C%E4%B8%AD%E5%B8%82%29
中央に祀られている、大國魂神社御神鏡・天保15年申辰正月(1844年正月)には、武蔵国全体がデザインされており、葛飾郡を含む22郡名が記されています。1880年頃、江戸・東京は人口100万人近い世界で最も人口の多い都市でした。しかし当時は衛生的で、屋根瓦の木造建築による街並みをもつ、美しい庭園都市でした〔長谷川雪旦による江戸名所図会・全7巻20冊・天保7年(1836年)刊行・江戸とその近郊の名所案内の地誌には、細密な挿画により、江戸の美しい都市が描かれております。〕。武蔵国は世界に誇る千年都市だったわけです。この後の江戸東京については既にご案内のとおり(このサイトについて⇒未来都市フォーラムとは 参照
http://www.next-city.com/main/modules/about/index.php?id=1
)ですが、勿論東京から府中に入って来る動きもあります。
http://www.next-city.com/main/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=82

現状の我国の人口推移でいくと、約400年後に東京はかつての庭園都市だった頃の人口100万人に戻る計算となります。18年後の東京の独居率は、45パーセントを超えます。このままでは、都市の維持保全だけでもままならなくなってしまうわけで、アジア・ゲートウェイ構想となるわけです。現在、東京の百人町4丁目は、既に65歳以上の高齢者の独居率が5割を越えている。アジア・ゲートウェイのメッカとも言える新宿区の百人町は、http://www.kantei.go.jp/jp/singi/asia/dai2/siryou3.pdf#search='アジア・ゲートウェイ'
今から約400年前、大きな窪地でした。低地には水田が開け、その西側の高台(西大久保)には江戸幕府の武士の住まいがあり、「百人町」には鉄砲百人組の組屋敷がありました。鉄砲百人組は、1590年に徳川家康が江戸城入城前に、内藤清成率いる伊賀組鉄砲隊を、甲州街道と旧鎌倉街道の交差点(現在の伊勢丹付近)に駐留させ江戸城を守り、その後1602年、鉄砲百人組は現在の百人町辺りに住むようになり、この地が「百人町」という地名になりました。百人町の武士達は、仕事のかたわらツツジを育てており、「百人町」はツツジの名所となりました。明治天皇が百人町のつつじをご鑑賞なされた際、詠んだ俳句が、現在でも皆中稲城神社に石碑として残されています。明治に入り百人組みの住居は国の管理となり、多くは陸軍のために使用されました。徳川家屋敷、戸山山荘あと(現在の戸山ハイツ)には陸軍戸山学校が建てられ、戦術・射撃・体操剣術の三科が建てられました。そんなわけで、このあたりには、今でも緑も多く、いさな達の子供時代の都会の遊び場でもありました。明治12年、アメリカ大統領グラント将軍が来日したのを記念して、戸山が原(早稲田大学理工学部付近)に日本最初の競馬場が作られました。その後競馬場は、明治25年に上野池之端に移転し、その後明治40年には目黒へ、昭和8年に、現在の府中(旧国府の街) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E5%A0%B4
へと移転し今日(19年4月21日・東京競馬場グランドオープンだそうですが)に至っております。

一方、かつての都会の元気の良い子供達の遊び場は、都市公園として整備は進みましたが、子供たちは少なくなり、数十年前の野趣のある広がり、空間の生気は感じられなくなりました。大久保通りと職安通りの間の新大久保駅から大久保駅周辺の、アジアのカオス的なパワーには、何事に付けあれこれと手を入れたがる日本人にとっては、考えさせられる事も多い地域となってきていますが、この辺り100年前は農地がほとんどであったようです。大正3年(1914年)11月15日、百人町停車場(現在の新大久保駅)が開業した当初は、大久保通りも狭く、馬車2台がようやくすれ違う程度の砂利道で、関東大震災の被害の後、住宅地へと変わっていったようです(百人町のそば處、創業100年「近江屋」さんのご案内より)。400年後に向けた日本の都市の在りようからも、今後10年の外国文化の影響とそれに伴う人口の変動は大変気にかかるところです。

以上述べてきた事からもお分かりのように、「大きな時代の分岐点にある今日、近未来を志向する上では、歴史を少し遡った地勢のつながりなどから、より広域的な都市内での検討が重要です。現在の細かい自治体区分は、わずか60年で、焼け野原から立ち上がる時の造りこみには向いていたのかもしれません。しかし現在のようにほとんど都市の庭とその緑の広がりを失った今日、減じつつデザイン再生していく近未来都市の為には、かつての3名の国造りの時代の頃のような、やや大きな枠組みが必要です。(未来都市フォーラム⇒東京フォーラム⇒「みどり東京・温暖化防止プロジェクト」始動 参照
http://www.next-city.com/main/modules/xhnewbb/viewtopic.php?topic_id=24


ちなみに11月14日の東京新聞によると、総務省は13日、今月15日に初会合を開く予定の通信網の公平利用に関する懇親会で、メンバーらが幅広い意見交換をできるように、インターネットの会員制サイト「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)」を活用する方針を明らかにしたとの事です。中央官庁の懇親会などでSNSを利用するのは初めてとの事です。このNE(X)TCITYは、近未来都市に向けての、よりオープンな先進の取り組みといえるものです。

さて、ようやく朝日町1丁目の件に戻りますが、

・建売事業を展開するにしても、都市に残る、木造建築可能な、限られた場所につき、我国の文化と伝統を大切に、本格的な木造建築を実現していただきたい。(未来都市Wiki⇒木造建築の可能性 参照
http://www.next-city.com/main/modules/bwiki/index.php?%CC%DA%C2%A4%B7%FA%C3%DB%A4%CE%B2%C4%C7%BD%C0%AD


・近隣の子ども達の通学の安全を確保する為、歩道を設置する事。

・近隣コミュニティーも使えるゴミ出し場や集会施設を設置する事。

・町会への参加を義務付ける事。

・より近隣が利用しやすい場所に、提供公園を設置する事。

・街区内には緊急車両以外の車の出入りをしない(周囲道路に面して駐 車施設を設置し、個々の宅地内には駐車施設を設けない。街区の道路 入り口にはボラードを設置する。)事。


以上検討事項としていただきたい。
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