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環5の1(豊島区)と白鷺の森(中野区)>>平和の門(中野区)問題>>分倍河原駅周辺地区(府中市)問題>>JIA杉並 土曜学校>>自然主義的な考察>>建築ということについて

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 .3 .4 .5 .6 .7 | 投稿日時 2019-7-24 8:36 | 最終変更
亀井天元  長老   投稿数: 444 オンライン
環5の1(豊島区)

70年位前は、池袋駅周辺の闇市から、西武や東武のデパートが池袋駅の発展と共に出てきました。東側の明治通りはもともとは国鉄の線路際でしたが、少し山手線の内側に移すことで、その間に西武ができて、根津山はあらかたなくなり西側に東武が駅とともに出てきて闇市はなくなりました。

今、池袋は明治通りをさらに駅から東に移す(環5の1)ことで、駅袋と言われてきた駅の賑わいを東側に呼び出そうとしています。環5の1は現在の区役所庁舎の東側を北から南に抜ける明治通りのバイパス道です。東京都では地下道化して通過交通は地上を通さないように考えましたが、豊島区は、文京区から新宿区、豊島区の高台の古い住宅地を結ぶ、すっかり狭くなってしまった雑司が谷地区を、新しい道路でさらに2分する網掛け行政(西側未来文化遺産、東側新防火)を誘導しました。

このことで東京都心部の住宅地が大きく変わってゆこうとしています。区部自治体は良好な住宅地がきちんと保たれていることが健全な財政(住民税で賄われる)を維持し、その地域の特性を生かしたまちづくり展開も出来るようになるのですが、今後豊島区はどうしてゆくのか・・・。東側新防火の地区は、大正から昭和にかけて多くの文士が居を構えた雑司ヶ谷。池袋・目白から近い立地にもかかわらず、どこか懐かしさを感じる町並み。菊池寛をはじめ多くの文士が住んでいました。小説家・三角寛の邸宅は懐石料理の店で残っていますが、今後は、・・・。三角寛も当時交流のあった菊池寛の紹介を受けて、1935年昭和10年に雑司が谷1丁目に居をかまえました。

都市計画地図が緑からどんどん赤く変わってゆきます・・・。
赤のままどんどん突き進むのでしょうか。

http://www.next-city.com/main/modules/d3forum/index.php?post_id=882



白鷺の森(中野区)

2005年、日本の総人口は減少に転じ、かつてインナーシティ−問題が叫ばれた千代田区では、都心への人口回帰で1995年(平成7年)を境に人口増に転じています。人口は増えましたが、マンションなどの共同住宅に住む人の割合が9割近くに及び、地域の人のつながり、関わり方も変化しています。

私の知るところでは豊島区や府中市のまちづくり協議会などでは、まだまだ町会や自治会など地権者(ほとんど70歳以上くらいの老人たちです)が主にまちづくりを進めています。千代田区では千代田コミュニティ―ラボなどで住みこなしブックつくり活動がおこなわれるなど、マンション住民や、昼間人口とのつながりにも配慮が進んでいます。千代田区は特殊ですが、東京の傾向をよく示しています。

白鷺の森(中野区)のような、都会に貴重な空間が、増え行くマンション住民や、昼間人口ともつながりながら、マンション化の波に押されることもなく、その貴重な存在が地域で大切にされるよう、中野区はじめ東京都の人の理解と協力が深まることを祈念いたします。

土木や都市工人がよくわからん数値判断で進める既存都市改造?が、細部に宿る魂を大切にする建築人や、棲みついてきた人々には理解できないことが少なくないようだ。

http://www.next-city.com/main/modules/d3forum/index.php?post_id=881
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